感情表現と笑顔

あと約1ヶ月にせまったイベントの為の練習日。
衣装をつけて踊ってもらった。
まあまあ揃ってきているように見えるけど、何かが足りない。
”笑顔”がないのだ。
フラは歌の意味を解釈し、それを振りと表情でもって表現しなければならない。
それを考えると、今の曲は確かにニッコニコで踊るべきではないかもしれない。
私は、ある程度は生徒さんに曲の意味やハワイ語などは話して聞かせる。
分かる場合は、カオナなども私なりの解釈で説明したりもする。
そのうえで、「先生、この曲って笑うんですか?」と聞いてくる
生徒さんもいる。
そういう場合私は答えずに「自分はどう思うの?」と逆に問うてみる。
しかし、”笑わない”のと”語るように微笑む”のと”笑えない”
のは、全て意味違う。
ハワイの方たちはあの名曲”ポリアフ”ですら時に全員揃って
にっこり笑顔で踊ったりする。
去っていった恋人にひたすら「帰ってきてー」という悲痛なまでの叫びを
謡った歌をだ。
がしかし、ポリアフをあるいはハワイの人たちのものの見方なども
深く理解しようとするとやはりあの歌はそれなりににっこり
微笑んで踊るのもいいのだろう。
今日私が言いたかったのは、あまりにも振りを深追いしすぎて
自分たちが語ることを忘れてしまっているということ。
日本人は、表現がへただ。
また、顔にださないことが美学だと教育されている
こともあるだろう。が、しかしフラは全てを使って表現しなければ。
これはつまり日本人としてのアイデアライズを捨てる
ことなのかもしれない。
どちらかといえば、私も自分を表現することがへただ。
子供のころからで、親に「あれが欲しいの」と言ったことはないし、
何かいただいたときにそれがものすごーくうれしくても
うれしい顔ができない。
子供のころには”みなしごハッチ”の最終回でおたふくであるのも
忘れておいおいと泣きもしたのに、
いつからか人前で泣くのは恥ずかしいことと決め付け
歯を食いしばって耐えた結果、今では涙を流すのは1年間でも数える程度。
ああ、それなのに怒りを表現することはなんて簡単なのだろう。
誰にも教わっていないのに、怒りの表情の調節などもお手の物だ。
        これは  カ・ナ・シ・イ  ことだ。
笑ったほうがいいよね。怒った顔なんか見たくない。
ましてや、舞台に立つのを想像して?
語りかけるように、とはいえいつもどうりの”ちょっと笑顔”ではちーとも
微笑んでいるようには見えないのだよ。
俳優さんは、テレビドラマなどにでるときと舞台でお芝居するときとは
全く違う方法で演技をするのね。
それと同じ。オーバーにやらないと、見ている人に伝わらないんです。
というわけで、微笑を笑顔に変えて踊ってください。